憲法キャンペーン 詳細
2009.01.05
新春特別企画 憲法が子どもたちに伝えたいこと 伊藤真さん×中山伸(都教組委員長)対談
2009年の幕開けに、「憲法と子ども・教育」をテーマにした特別対談を行いました。司法受験指導校「伊藤塾」塾長であり、日本国憲法の存在価値を解く講演・全国行脚等を行っている、弁護士・伊藤真さんにお話をうかがいました。伊藤さんはDVD「戦争をしない国・日本」の制作、賛同呼びかけ人の一人でもあり、憲法への思い、子どもと教育について語られています。
プロフィール
1981年東京大学法学部在学中に司法試験合格。1995年、「伊藤真の司法試験塾」を開塾。その後、法科大学院入試・司法書士試験などの受験指導開始。著書は、「憲法の力」「伊藤真の憲法入門」「伊藤真の試験対策講座」シリーズなど多数。
【写真】伊藤真さん
憲法は政治を正しい方向にすすめるための国民の道具
中山
あけましておめでとうございます。
二十一世紀の九年目を迎えて、今こそ新しい時代を求める声がこの国にあふれている時はないと思います。この間、私たちは、「子どもと教育・日本の将来があぶない」という呼びかけをしてきました。そのことの受け止め方と共感が、今ほど広がっている時はないなと思います。
同時に、憲法というこの国の指針をもとに、私たちの未来を広げていこうという運動も大きく広がっています。こういう中で、新しい年をどんなふうに切り開いていくのかということを最初にお伺いしたいと思います。
【写真】都教組 中山委員長
伊藤
そうですね、二〇〇九年は、政治が大きく動く年になるだろうと思います。憲法というと政治と密着しすぎてしまって、敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、実は憲法というのは、日本の政治を正しい方向にすすめるための国民の道具なんです。本来、国民が人として大切にされ、幸せに生きるために政治家たちを縛る道具、それが憲法です。ですから憲法と政治はどうしても密接不可分なんです。
ある意味で憲法を大切にするということは、現実の政治をよりよくしていく努力をし続けるということだと思います。ですから、憲法を守ろう守ろうといくら言っても、この憲法の理念に従って現実の政治を変えていく努力を怠ってしまったら、結局何の意味もないと思うんです。
今年は大きな選挙が行われます。この間、憲法価値をあまりにもないがしろにした政治の動きが加速されました。それを本来の憲法のあるべき姿の政治にもどしていく、そのきっかけになるとても大切な年になると思います。
中山
それは、子どもたちの今と未来にもしっかりとつながっていくものだと思います。いま政治や社会のあり方が、子どもたちにも深刻な影響を広げています。貧困と格差の問題について、国民の中にも何とかしなければという状況も生まれていますが、リストラされたり、生活できなくなったりしている大人の裾野に、家族と子どもたちがいます。これが、子どもの貧困という大変大きな問題になりつつあります。これまでは、子どもの貧困は家庭の問題だということで、あまり表には出てこなかったんですが、特にいま母子家庭の貧困と、子どもの貧困率が大変深刻な状況なってきています。この子どもの貧困について、憲法の問題からどうでしょうか。
法律家と教育者の共通点
伊藤
まずその前に、先生方が憲法と向き合わなければならないのはどうしてなのかと考えたことがあります。そのきっかけは、法律家と教育者の共通点はどこにあるかと考えたことでした。
その一つは、一人ひとりに向き合わなければいけないということです。もう一つは、国家から統制されるのではなく、一人ひとりの内的な自律に基づいて行動に責任をもたなければならないということも共通かなと思います。
三点目は、社会の矛盾が目の前に凝縮されてあらわれるということです。それを解決していくためには、どうしても社会に目を向けなければいけない。
憲法の前文に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とういフレーズがあります。平和的生存権の規定なんですが、平和の対局は単なる戦争ではなくて、恐怖と欠乏から免れてはじめて平和なんだ、だから暴力や戦争から免れるだけじゃなく、貧困や飢餓、そういう欠乏から免れてはじめて平和という位置づけをしているんです。
中山
「戦争は貧困とともにやってくる」という言葉がありますが、子どもたちの状況をしっかりとらえることと、「教え子を再び戦場に送らない」のスローガン掲げてやっていく、この両方がすごく大事になっていると思います。いま子どもたちの中に、貧困と格差の状況があるんですが、本来学校の教育は、どんな困難があっても平等だったんですね。
伊藤
教育は本来平等という点は、等しく教育を受ける権利を有するということを人権として保障した二十六条にも現れています。
公教育というのは、教育の内容で均一化したり、画一化したり、また管理したり、統制したりというためにあるのではなく、子どもたちの家庭環境等々、経済的なバックグラウンドが違っても、最低限度の人間として幸せに生きるための力をつけてもらう、子どもたちの能力を引き出してあげる、それが国の仕事なんですという意味で公教育なわけです。まさに平等を実現するための公教育であって、そこでいう平等というのは、決して画一化した、国が決めた内容を押しつけるという意味の平等ではないわけです。
私は、憲法十三条「個人の尊重」というのがとても大切だと考えていますが、その「個人の尊重」には二つ意味があって、人はだれも人間として尊重されるべきだ、これが一つなんですね。もう一つは、みんな違ってあたりまえ。むしろ人と違うことはすばらしいことなんだというのが、憲法の「個人の尊重」なんですね。
何のために学ぶのか子どもに考えるきっかけを
中山
「クレスコ」十二月号に伊藤さんが書いた「私の出会った先生」、佐川先生のことを読ませていただきましたが、教育とは何かとか、教師に期待するものとかをここでお話いただけたらと思います。
伊藤
私も、いま学生たちに法律家になるため教えているんですね。そういう意味では教育をする立場の側にいるんです。
勉強というのは、自分が何のために学ぶのかという自覚がないとおもしろくもないですし、力も伸びない。そこを気づかせるのは、すごく難しいことです。でも、そういうことを考え、答えは出ないかもしれないけれど、考えるきっかけを与えてあげるとか、それはやはり教師にしかできないこと、教師のひとつの役割なのではないかと私は思うんです。
私は、佐川先生から、勉強というのは自分を鍛えていくための手段だということをご自身の姿から教えていただきました。漠然としたものかもしれませんが、そうした印象ををすごく受けたんですね。だから先生方がご自身の教育観を自分の本音としてしっかり持っておくということが、すごく大切なことだと思うんです。
中山
私たち教職員自らも成長するということを、私自身も本当に教育の場で学びました。教員になって非常に幸せだと思うのは、子どもたちからどれだけ多くのことを学んだかと...本当にありがたいと思いますね。そういう人格と人格のひびき合いといいますかね...。
伊藤
まさにそれが、「子どもの権利条約」などの本質だと思うんです。子どもたちは、いわば管理や教育の客体ではなくて、権利の主体なんだということを認めるというのが、まさに「子どもの権利条約」の要なわけですよね。私たちの憲法もそこがポイントだと思うんです。
ただ、教師の側の成長がいまひとつだと、どうしても地位だとか権力だとかを振りかざして、子どもたちを支配する、服従させることになる。まあ、そのほうが楽ですから。でも、そこで根気強く例えば話し合いをしたりすることによって、「何かもめごとが起こったときには話し合いで解決をするんだ」ということの訓練ができるわけです。それこそまさに、私たちの憲法九条が目指している平和主義の本質です。そういうことを教育の場で実践し、訓練していけるだろうと思うんです。ただ、そのためには余裕がないとダメですよね。
中山
やっぱり、この国が何を一番大事にするかということが問われているんでしょうね。
伊藤
本当にそう思いますね。
中山
子どもたちの未来は、この国の未来です。それは教職員だけがやる仕事ではなくて、国全体でやっていく仕事だとなあと思うんですね。私たちの組合員手帳は、一番最初に一九四七教育基本法、そして憲法を掲げ、子どもの権利条約を掲げています。それからもう一つ、児童憲章を掲げているんです。
伊藤
教育は一人ひとりの子どもが幸せになるという目的もとても大切なんですが、それと同時に、明日の主権者の育成というとても重要な役割もあわせ持っています。それは、主権者として、この国や社会、世界をよりよくしていくためには何をしなくてはいけないのかという、社会的な役割を果たすということの意味も教育を通じて身につけていかなければいけないことだろうと思うんですね。自分が幸せになることとともに、この社会の構成員としてどういう役割を果たしたらいいだろうか。そういう社会の中の自分という位置づけができてはじめて、本当の意味の一人ひとりの幸せってものが実現できる。それから児童は社会の構成員であるということは、そこで守ってもらう客体であると同時に、社会に参加していく主体でもあるわけですよね。まさに対等なメンバーなんだという、そういう主体性というものをしっかりと意識をするのにこの児童憲章はとても重要ですし、教育の役割は本当に大切だなと思いますよね。
徹底的に人間の命を尊重する憲法9条
中山
先ほど平和の問題で、「教え子を再び戦場に送らない」という私たちのスローガンについて、話をしていただきましたけれども、「九条の会東京連絡会」の発足集会で、呼びかけ人である伊藤さんの話を聞きました。九条がすべての戦争を放棄したことの役割を強調され、人間の命を徹底的に尊重していくことが重要だからこの九条を守る、活かす、社会のためにと訴えられました。その点について少しお話しを伺えればと思います。
伊藤
私たちの憲法九条というのは、どんな名目の戦争も一切しない。あらゆる戦争をしないとするところに大きな特長があるわけなんです。侵略戦争をしないという国は、世界にたくさんあります。ところがどんな名目の戦争も一切しない。民主化のためのたたかいであろうが、人道のためのたたかいであろうが、テロとの戦争であろうが、自衛のための戦争であろうが、どんな名目の戦争であろうが、一切しないという徹底した戦争放棄、平和主義の立場に立っているというのが大きな特長です。
なぜそこまで徹底させたのか。どんなに正しい名目や目的があったとしても、戦争という手段をとることは絶対に許されない。戦争は人殺しだからなんですね。人の命を何かの目的のための手段にすることがあってはならないというのがこの九条の根底にある考えだと思っています。
また、軍隊というものの本質、それをいま一度考えてみるべきではないかと思っています。戦争とか軍隊というのは、実はもともと理不尽なものなんだ、どんな軍事組織であっても、やはり人を殺すことを目的にして訓練するわけですから、それは私たちの市民社会とは相容れないものなんだということを今一度認識しなければならないと思うんです。
私たちの市民社会は、人の命を大切にします。軍隊の組織は人の命を奪うことを目的にしています。市民社会は自由性や主体性を大切にしますが、軍隊の組織は服従や従属です。市民社会は一人ひとりの個人が大切ですが、軍隊は組織が大切であって、まったく異質なんです。
中山
本当に、今、伊藤さんがおっしゃったように、人間の命を徹底して尊重する、といいますかね...。この言葉は、子どもたちにとっても、教育にとっても、この国にとっても一番の土台だと思いますね。よく、子どもは社会の鏡だと言いますね。子どもたちの中で現れている現象というのは、子どもたちに起因するものでなくて、社会そのものを映し出したものだと思います。
今お話があったように、この九条がめざす社会を、本当に私自身はつくっていきたいと思いますし、そのことが「教え子を再び戦場に送らない」という言葉に集約されているのではないかと思っているんです。
改悪された教育基本法からも奪えなかった「日本国憲法の精神」
伊藤
本当にそう思います。国が国民に何かを押しつけていく、教育内容もそうですし、愛国心のような心の問題もそうです。それを上から現場に押しつけていくものであってはならないことです。それが戦後の憲法や、一九四七教育基本法の根本なわけです。あの一九四七教育基本法の前文では、まさに憲法の理想を実現することこそが教育だということを冒頭に掲げているじゃないですか。憲法と教育は表裏一体。憲法価値を実現することこそが、教育の目的なんだということを言っていますし、そして一条の「教育の目的」というところでは、「個人の価値を尊び、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期す」と書いてあります。まさに、個人の価値を尊ぶこと、自主的精神に満ちた大人になっていく、それをサポートすることが教育の目的になっているわけであって、それこそ、憲法の根本の価値、「個人の尊重」とぴったり重なり合います。この目的を達成することによって子どもたち、「教え子を再び戦場に送らない」ですむんだというわけです。ところが、国が教育内容に介入するようになり、国家と国民の関わり方も何かおかしな形になってきました。そして、九条も事実上骨抜きにされていくような大きな流れの中で、それに抗うということはとても大切なことだと思います。それは、明日の社会を担っていく子どもたちへの教育をする現場の教師の責任の一つ、大きな責任の一つなんだろうと私は思います。
中山
そうですね。
伊藤
新教育基本法一条の「教育の目的」では、「国家及びの社会の形成者としてふさわしい資質を育成すること」と書かれてしまいました。これは、言葉を変えれば「国を支えるのにふさわしい国民」になること、それが教育の目的ということです。「個人の価値を尊ぶ」とか、「自主的精神に満ちた」という部分もばっさり削除されました。まさに国を支えるのにふさわしい国民になれ、みたいなことが教育の目的になってしまったわけです。だから二条以下の「教育の目標」に「国を愛する態度」が入りこんでくるのは必然なわけです。それは残念なことだと思いますが、救いは、あの新教育基本法の前文の最後のところが変えられなかったことです。すなわち「日本国憲法の精神に則り」という部分は削除できなかったわけですよ。ここは日本国憲法の精神に則って、新教育基本法も解釈・運用しなければならないんだということを言っているわけです。としたら、この、「国を愛する態度」ですとか「国家及び社会の形成者としてふさわしい資質」というところの解釈も、今の私たちの日本国憲法の精神に則った解釈運用をしなければいけない、ということになるわけですね。幸い私たちはまだこの憲法を持っています。個人の尊重、個人の価値を尊ぶ憲法なわけですから、その憲法の下での教育基本法の解釈ということは、「国家及び社会の形成者としてふさわしい」資質というのは一体何だ、国の言いなりになるという意味じゃないぞ、民主国家における国民、日本国憲法が想定する国民は、まさに主体的に権力を監視する力を持った国民、それこそが国を支えるのにふさわしい国民の資質であるということになります。国家や政治を監視し続ける力を身につけること、それこそが教育の目的なんだという解釈をすることが、実は憲法の理念に従った正しい解釈となります。また、国を愛する態度についても、その場合の「国」というのは、国民主権の国なんですから、国民の集まり、人々の集まりとしての国を愛するということになり、それは、人々を愛するということに他ならないじゃないか。ならば愛国心というのは、仲間を大切にすること、人々を分け隔てなく愛すること、大切にすること。それこそが実は「国を愛する態度」が言っていることの意味だという解釈をすることが可能なはずなんですね。
このように、現場の先生方の創意工夫によって憲法の理念を実現する教育はできる。憲法の精神に則った解釈をすることで、新教育基本法や指導要領を憲法に即して解釈・運用していくことができるんです。こうして、現場の教育内容をうまく工夫していただければいいのではないかなと思いますね。
中山
今、伊藤さんと話をして、この時代のこの局面で、子どもたちの未来と教育のために、私たちの一番のがんばり時だなと思いました。
戦争をしない国・日本
中山
それで、DVDも出されてましたが、私、この「戦争をしない国・日本」という、このタイトルが気にいってまして...。
伊藤
はい。片桐監督と相談をしながら、このDVDのタイトルをどうしようか考えました。その時に、やはり「戦争をしない国・日本」、それが日本の一番の「売り」じゃないか、特長じゃないか、とね。明治憲法の時代に対して、この九条を持つ新しい憲法になったことによって、「戦争をし続けた国・日本」が、「戦争をしない国・日本」になったんだ。それをもう一度再認識するべきじゃないのかということで、このタイトルなんです。
このDVDを見ると、「実は日本はこんな平和な国じゃなかった。本当に戦争をし続けて大変な国だったんだな。だから今のこの平和というのは、どんなに有り難いことなのか」と思うんです。そして、みんなが憲法価値を守ろうと必死で闘い続けてきた、それがこの国の歴史だったよなということを、思い起こすわけです。
子どもたちへ
中山
本当に、「たたかって学ぶ」ですね。私たち教職員はともすれば二六条のところに重きをおくところがあるんですけれども、九条と二十六条だけじゃなくて、まるごと憲法をとらえなおして力にしていきたいと思いました。 ところでこの機会に、子どもたちへのメッセージをいただければと思うんですが...。
伊藤
そうですね。私は、小中学生を相手に話をするとき、憲法の本質を伝えます。憲法というのは、国家権力を制限するもので、私たちが主体となって権力をしばるための道具なんだよと。そして憲法で一番大切な価値は、「個人の尊重」、みんなそれぞれ大切だし、他人と違うことはすばらしい。自分と違うものを認め合って生きること、それがとても大切なことなんだということを伝えます。そうすると、終わった後に、「先生の話を聞いて、今のままの自分でいいんだということがわかって安心しました」とか、「他人と違っていいということを言ってくれたのでホッとしました」という感想を子どもたちが送ってくるんですよ。
今の子どもたちは、「みんなと同じでなければいけない」というプレッシャーが非常に強くはたらいてしまう。でも、みんなに合わせなくたっていいんだよ、あなたはあなたのままでいいんだからね、ということを私は子どもたちに伝えたいんです。
それを、この国の憲法という一番大切な法が後押ししてくれているんだから、安心してね。あなたらしく生きればいいんだからね、あわてる必要はない、焦る必要はないよということです。それを一番伝えたいと思います。
中山
あっという間に時間がたってしまいました。伊藤さんの熱い子どもと教育への思い、憲法への思いが伝わりました。
都教組も、憲法を守り活かし、これから運動をすすめていきたいと思います。また、今年四月にILO・ユネスコのCEART調査団が来日調査して出された「セアート勧告」を、憲法を遵守する「教員の地位」のために活かしていかなければならないと思います。
本日は、どうもありがとうございました。
