平和のとりくみ2008年 詳細
2008.09.05
平和への思い新たに 原水爆禁止世界大会広島・長崎
八月二日〜九日、広島・長崎で開かれた原水爆禁止世界大会には海外代表を含む約七千五百人が集まりました。四日〜六日の広島大会には都教組本部・支部からも青年を含め多くの教職員が参加しました。
開会総会には約六千八百人が参加。五十周年となった国民平和大行進の通し行進者からの報告、秋葉忠利広島市長、日本原水爆被害者団体協議会の坪井直さんらの挨拶に会場が大きな拍手で包まれました。
二日目は十九の分科会・フォーラム・企画が開かれました。原爆遺跡・碑めぐりや、被爆の実相を知り伝える運動、世界の草の根の運動交流など、学習と交流を深めました。
閉会総会では、二〇二〇年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた新署名「核兵器のない世界」にとりくむことを確認し、参加者が
まず第一署名者となり全世界的な共同行動キャンペーンをスタートさせようという「広島からのよびかけ」が満場一致で採択されました。
参加者の感想を紹介します。
◆私にとっては初めての広島だった。もちろん原水爆禁止世界大会に参加するのも初めてである。直接自分の足で歩き、目で見て、心で感じたいと思って参加を決めた。
「青年のつどい」に参加した。テーマは「継承と発信」。自分と同世代の人が原水爆禁止に向けて、平和を求めて真剣に考え、運動していることを知り、とても刺激になった。
二日目。原爆の碑めぐりの分科会に参加した。原水禁に参加すると決めたときから、この分科会に参加したいと思った。テレビや本で、原爆ドームや平和の子の像などを見たことはある。しかし、直接自分の足で歩き、自分の目で見ることで、少しでも原爆の現実を感じ取りたかった。そこで、今の平和記念公園の一帯は、昭和二十年当時、広島随一の繁華街だったということを知った。建物疎開に従事していた多くの小中学生が亡くなったことを知った。知らなかったことだらけだった。原爆の事実を知ることが、平和を考えるプロセスの手がかりになると思う。
分科会の解散後、袋町小学校、平和記念資料館に向かった。袋町小学校は、広島に行くと決まったときに是非訪れてみたいと思った場所だった。以前、古本屋で一冊の本に目が止まった。本のタイトルは「ヒロシマ‐壁に残された伝言」。袋町小学校の旧校舎の取り壊しの際に出てきた「伝言」に焦点を当て、それを書いた人の縁者を訪ねるという内容の本だった。
実際にコンクリートに書かれた伝言を見ると言葉が出なかった。壁に書き残された一言一言がとても重いものに感じられた。私はそこからどれだけのものを感じ取ることができたのだろうか。
平和記念資料館では、展示されている遺品を丁寧に見ていった。八時十五分で時が止まった懐中時計が展示されていた。息子にもらった懐中時計を最後まで肌身離さずに亡くなった方の遺品だった。息子はどんな思いで父に懐中時計を贈ったのか、父がどんな思いで懐中時計を最後まで離さなかったのか、そんなことを考えているうちに涙がこぼれそうになった。一瞬のうちに日常を奪い去った原爆への怒りがこみ上げてきた。
「今回の原水爆禁止大会で得たものを、子ども達にどのように伝えていくか」、それを考え実行して初めて、原水爆禁止世界大会に参加した意義が深まると思う。まだまだ知らなくてはならないことがたくさんある。知るべきことを知り、伝え、子どもたちと一緒に平和の意味を考えていきたい。(北多摩東支部青年部・森田寛之)
【写真】上:原水爆禁止世界大会・広島閉会総会
下:都教組代表団
